アトピーの治療体験記 脱ステロイド体験中 私の希望!

公開日:  最終更新日:2016/11/01

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アトピーは「良く分からない現代病」と言われ、治療法がまだまだ確立していませんよね。
そのため何十年にも渡って苦労をしている人がとても多いと思います。

今回はアラフォーの筆者が自分のアトピー史を振り返り、38歳で脱ステロイドに至るまでの道のりをご紹介します。
今治療法に悩んでいる人や、家族のアトピーを治すために努力をしている人に少しでもお役に立てると嬉しいです。

 

アトピー 治療体験記

 

安藤 希望(あんどう のぞみ)、38歳の体験談です。

もくじ

★第1章:アトピー治療体験記 幼少期から大学~営業時代
幼少期
中学・高校時代
大学時代
アパレル勤務時代
営業職時代
★第2章:アトピー治療体験記 カボジ発症
カポジ発症
ついにアトピーが大爆発
カポジ再発、そして入院
退院
★第3章:アトピー 脱ステロイドの体験談
脱ステロイドに関して、調べてみる
脱ステロイドのお医者さん発見
★第4章:アトピー 脱ステロイド 経過
★最後に:まとめ

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★第1章

アトピー治療体験記 幼少期から大学~営業時代

 

幼少期

母によると、1歳くらいから「アトピーっぽい」兆候はあったと言います。

本来なら腎臓などの内臓が成長し安定する2歳くらいまでに、アトピーは自然に治る といわれています。
しかしほんのちょっとの湿疹でも、母は気にして皮膚科に連れて行ってくれました。

そこで処方されるのは当然ステロイド です。
時代は1980年代。
団塊の世代の母にとって、「病院の先生は絶対者」であり「薬は魔法のように病気を治すもの」でした。

 

そして、アトピーが出てきたら「すぐにステロイド」を塗るという生活が始まりました。
知識も無いため、とにかく皮膚科で処方されたステロイドをせっせと塗るだけ。
強さのランクや、危険性などまったく考えもしませんでした。

当時アトピーは社会問題 にもなっていました。
やれ「水が悪い」やれ「母親の妊娠中に食べたものが悪い」などと非科学的な話が飛び交い、治療法は分からないまま。
そんな中、母親は新聞などで知った「○○大学の教授のアトピーセミナー」のような講演会にも通ってくれました。
しかしそこで得る情報のほとんどは「ステロイドを塗って治す」ということでした。

小学校高学年になると、皮膚科にはひとりで行けるようになりました。
「ひとりで偉いね」と言われることを喜んだ私は毎月1回の通院を欠かさず、ステロイドを塗ることに喜びさえ感じていたのです。

 

その頃のアトピー治療は、大きく二分されていたと思います。

ひとつめは「転居や湯治も視野に入れ、徹底的な食事制限をする」現代の生活から逆行して治すスタイル。
もうひとつは「偉い先生の言うことを守ってステロイドを塗っていればいつか治る」という思考停止スタイルです。

我が家は完全に後者スタイルでした。
私の症状が重度ではなかったことも、そうなってしまった理由だと思います。
生活に支障が出るほどに重い状態であればもっと突き詰めて考えていたでしょう。

今思うと、この時代に放置をしていれば治っていたかもしれません。
しかし症状以上のステロイドを塗り続けていた私は、自分の体にどんどん負担がかかっていることなど知りもしなかったのです。

 

中学・高校時代

私のアトピーは幸いなことに顔にはあまり出ていませんでした。
そのため見た目でそこまで悩むことも無かったのですが…。
通っていたのがややガラの悪い中学校だったためヤンチャな男子から「汚い」とからかわれることもありました。

思春期に男子から「給食当番はするな」などとからかわれるのは本当に嫌でした。
とは言えそのような男子は一握りのグループで、部活の仲間や友人たちは普通に接してくれたため救われていました。

 

高校時代も同じように、軽度のままでした。
ただ高校に入ると自分でスキンケア用品を買ったり、メイクをするようになります。
私は市販の化粧水や日焼け止めを使うと毎回顔がひりひりすることに気付き、化粧品ジプシーとなりました。

探し当てたのは、高校生としてはお高いフランス製のスキンケア用品。
これは肌に合い、しばらくはツルツルの顔でした。
恐らく日本のメーカーのようにパラペンやアルコールが入っていなかったのだと思います。

 

皮膚科には相変わらず通院していました。
また、アトピーが出ていない時期もとにかく「何かを塗らないと気持ちが悪い」という気がしてしまい、保湿剤などをひたすら塗っていました。
この時期に、私は完全に「保湿依存」にもなってしまったのです。

 

大学時代

大学は、地元から遠く離れた場所を選びました。
やりたい勉強もあり、大学の刺激的な生活に没頭していました。
住環境が変わりアトピーはやや悪化しました。
しかしサークル仲間にアトピー持ちが多かったり、さすがに大学生にもなってアトピーをからかう人もおらず、そこまで気持ち的なストレスには感じませんでした。

 

当時の私は学費を稼ぐためにバイトを掛け持ちし、またお酒を飲むことも好きだったため食生活はかなり乱れていました。
食費を浮かせるために、栄養バランスなどは無視した食事をしていたと思います。

そしてお金が無かったため、皮膚科に行くのが億劫になっていました。
本当にステロイドが無くなったときだけ、皮膚科で薬を処方してもらいます。
そのためこの時期の通院は3か月に1度、程度だったと思います。
その程度ならすっぱりステロイドを抜くべきだったのですが・・・。

 

また大学時代にはひとつの気付きがありました。
当時は長期の休みのたびにバックパッカーのようなことをしてアジア各国へ旅行をしていましたが、海外に行くとアトピーが軽くなるのです。

特に砂漠へ行ったときには驚きました。
アトピーの部分の皮膚がカラカラに乾き、次第に枯れていくのです。
そしてその後には、サラッとした肌になるのでした。
砂やホコリまみれのお風呂にも入れない毎日でしたが、健康な肌の感覚を知りました。
普通の肌はこんなに気持ち良いものなのか、と。

そして、もしかしたらじめじめした日本の気候や、古いアパートの湿気・結露・カビなどが私には合わないのかもしれないと考えるキッカケにもなったのでした。

 

アパレル勤務時代

大学を卒業した私は、アパレルメーカーに勤務し店舗販売員となりました。
仕事は面白く、若かったので徹夜仕事も平気でした。
また毎日のように同僚と飲み歩き、充実した日々を送っていました。

この時期は人生で一番アトピーの軽い時期です。

 

理由は、今なら分かります。
運動し血行が良かったからです。
毎日店舗を走り回り、荷物を持って汗をかき、へとへとでしたが体のリンパの流れなども良かったと思います。
体も軽く、引き締まっていました。

 

しかし接客業と言うこともあり、ステロイドを切らすことはできませんでした。
体のどこかに出たら、ピッと塗る。
人目に付く場所は特に神経質になり、ほんの少しの症状でも塗っていました。
そのおかげで「アトピーです」と言っても信じてもらえないくらいの見た目を保つことができていました。

 

営業職時代

長く勤務したアパレルを離れ、営業職に就いたのは30代前半のことでした。
資格も取り、新しい仕事に取り組んでいたのですが…。

まずあっと言う間に10キロ体重が増えました。
仕事の中で運動をしなくなったからです。
ヒールを履いて外回りをするのはそれなりに大変ではあるのですが、小売りの現場のような体力仕事とは違います。

 

そして、人間関係のトラブル・派閥争い・営業成績のノルマなどの「営業あるある」の世界に足を踏み入れてしまった私は、ますます生活が乱れました。
接待も多く、ほとんど外食の生活。
朝昼とコンビニ食だったこともありました。

飲み歩きにも拍車がかかりました。
前職時代の飲みは日々のリフレッシュでしたが、営業に変わってからは「ストレスを積み重ねるためのお酒」と言った感じでした。

 

アトピー自体は、小康状態を保っていました。
しかし振り返るとこの時期に様々なもの…ストレス、外食の負担、運動不足から来るリンパや血流の流れの悪化、食品添加物などのアトピー大爆発への原因を溜め込んでいたのだと思います。

 

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★第2章

アトピー治療体験記 カボジ発症

 

カポジ発症

営業職になって3年目の夏、バスト周りに違和感を覚えました。
見ると、バストから脇腹にかけて見たことの無い発疹ができています。
何だか痛みもあったのですぐに皮膚科へ行きました。

診断名は「カポジ水痘様発疹症」。
アトピーを基礎疾患とするヘルペスだということで、バルトレックス という薬を処方されました。
ネットで調べてみると、食欲が無くなるような画像が出てきます。
もうだめだ、と落ち込みました。

 

しかし薬が良く効き、1週間ほどでヘルペスは枯れていきました。
うっすら残る跡も時間の経過で消えていきます。
対処としては、もしまた再発したら一刻も早く薬を飲むこと。
数日の放置でどんどん広がるので、甘く見ず病院へ行くと言うことでした。
そのため、予備のバルトレックスを化粧ポーチに入れて持ち歩いていました。

しかし、自分の上半身にびっしりと赤いフジツボのような突起物ができたのはトラウマのようになりました。
そんな状態でも仕事は休めません。
痛くてブラジャーができないので、ノーブラにジャケットでごまかし、何とか営業には出ていたのです。

 

ついにアトピーが大爆発

その1年後の冬のことです。たまたまステロイドが切れていたので、保湿剤などを使いしのいでいた時期でした。
数日間で急に顔が腫れてきたのです。
それも、アトピーの湿疹とは何だか違う「赤黒くパンパンに膨らむ」と言う感じの腫れでした。

その週はストレスが半端なくかかっていたこともあり、皮膚科に行く元気もありませんでした。
顔が痛くて眠れず、頭ももうろうとしていたと思います。

 

今思うと、この段階で軽い脱ステロイドに入っていたのだと思います。
顔の腫れは、まさに「ムーンフェイス」。
体も乾燥し、アトピー特有の「粉を吹く」感じではなく「荒れてひび割れる、そして突っ張る」という状態でした。

その状態を見た上司がさすがに心配し、皮膚の問題ではなく内臓ではないかということで内科に行かされることになりました。
しかし内科でした血液検査の結果は正常。
アレルギー反応も何も出ず、私は仕事を休むこともできずに、思考停止したままぼんやり生きていました。

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カポジ再発、そして入院

当時はあまりにも見た目も悪く、仕事の動きも鈍っていました。
さすがにそのような状態の私に上司たちも何も言うことができず、私は2週間ほど「とにかく会社まで行く」ということだけに必死になっていました。

そのときになぜステロイドを塗らなかったのかは、今では良く分かりません。
一番は「切れていた、通院すらしんどかった」と言うことですが、深層意識の中では「ステロイド塗っても同じなんじゃないか」と思っていたのではないでしょうか。

 

しかしある夜、ひび割れた上半身にまたポツポツと発疹ができたのを発見して、パニックになりました。
絶対にカポジだ、再発したんだと思い、1錠だけ残っていたバルトレックスを飲み、就寝しました。

翌日にはカポジは範囲を広げ、二の腕から脇腹、おなかの下までを覆っていました。
もはや会社のことなどどうでもよくなり、上司に連絡をして行った総合病院で即入院を言い渡されたのです。

私のカポジは、上半身だけなのが不思議でした。しかし寝返りも打てず、シャワーは地獄の時間。
シャワー後は両手を上げて看護師さんに包帯を巻いてもらわないと身動きすら取れない状態です。
そして、飲み薬ではなく点滴でヘルペスを治すことになりました。

 

入院期間は10日間。
点滴はさすがに効き目が良く、1週間ほどでみるみるヘルペスは枯れていきました。

しかし恐ろしいことも起きていました。
基礎疾患であるアトピーを治さなくては、と、ヘルぺスが治まった上半身にステロイドを塗られ、数日間包帯を巻かれてしまったのです。

気力も体力も失い、風が当たっても痛いという状態だった私は「もう治してくれるなら何でもいい」というやけくそな気持ちでした。
もちろんステロイドをガッツリ塗った体は数日でツルツルになります。
改めてその効果に驚き、自分の体に何をしてきたのだろうか…とうっすら恐怖を覚えました。

 

退院

退院時には大量のステロイドを処方されました。
そして皆に「キレイになった!」と絶賛され、帰宅。しかしそのとき、私は自分の皮膚が自分のものではないような「気持ちの悪さ」を味わっていたのです。

あんなにひどいアトピーが数日で治まる。
しかし、肌には違和感があり、まるでビニールの風船のように押すとブヨブヨする。
これは何だろう…。
私の皮膚には何が起きていたんだろう…。
まるでエイリアンに体を乗っ取られたかのような不思議な感覚でした。

 

★第3章

アトピー 脱ステロイドの体験談

 

脱ステロイドに関して、調べてみる

そこから徹底的に脱ステロイドのことを調べ始めました。
調べてみると、やはり入院前には私の体からはアトピー要因がオーバーフローし、あふれ出てしまっていたこと。
そしてそこでステロイドを塗らなかったために脱ステロイドのリバウンドは始まっていた ということが分かりました。

そう考えると、入院で塗られたステロイドがつくづく悔やまれます。
せっかく辛いリバウンドの波の第一波に耐えていたのに、と思いました。
しかし、その状態で塗ったからこそあの幽体離脱のような不思議な皮膚感覚が分かったとも言えます。
そして一生自分の皮膚にびくびくして生きていくのは嫌だ、と明確に思いました。

 

脱ステロイドに踏み切るには環境は良くはありませんでした。
ストレスフルな仕事、一人暮らし、貯金もそう多くはありません。
しかし、選んでいる場合ではないのです。
大変なことは分かっているがやらざるを得ない・・・という状態でした。

仕事の休職の手続きや引継ぎ等の期間、本当につらい部分にはステロイドは使いました。
全身が痛いと生きる気力が無くなってしまい、正常な思考ができないからです。
とにかく一刻も早く上司とのやり取りや書類手続き、クライアントさんへの連絡を終わらせようと必死でした。

 

脱ステロイドのお医者さん発見

そして休職期間に入りました。
私はひとりで寝返りも打てないほどの痛みに耐えながら、脱ステロイドのことをまだまだ調べていました。
そして電車で2時間ほどのところに有名な脱ステ医がいることを知り、マスクに帽子といういでたちで診察をしてもらいに行ったのです。

 

診察で体を見せると「紅皮症だね」と言われました。
そして、まるでゴジラのようになっていた顔を見て「まだまだひどくなるよ。いけるかい?」とも聞かれました。
もういけるとかいけないとか考えている状況ではないので「いきます…。治りますか」と聞くと、先生はあっさり「治るよ。でもステロイドと保湿剤は塗ったらダメだよ」と返してきました。

 

その日を境に、私はすべてのステロイドを捨てました。
また保湿も一切止めました。実際は保湿ができるような状態ではなかったのですが、「この化粧水で治るかも」「このオイルは効くかも」という望みを捨て切れてはいませんでした。
しかし、完全に止めた!と決めてしまうと割とすんなり受け入れることができました。
塗っても塗らなくても痛いしかゆいんですから。

脱保湿に踏み切ったとき、砂漠でアトピーが治った経験を思い出しました。
私は乾かすことでいい方に転ぶ。そう体感していたため、気持ち的には前向きでした。

 

★第4章

アトピー 脱ステロイド その後の経過

 

脱ステはじめて1年半

それから1年半。悪化の波を2回超え、自分の体のことを良く考え、今はなんとか社会生活ができています。
厳しい食事制限はしませんでした。
お酒も飲みます。
気を付けているのは食品添加物と、砂糖です。
でも減らすように気は付けますが、除去はしていません。

 

それよりも、自分の体に溜まった老廃物や腸内環境の悪化、リンパや血行の流れの悪さが私のアトピーの大きな原因であると実感しています。
ここから先は脱ステロイドではなく体質改善です。
皮膚には生き方そのものが現れる。
そう思い、ゆっくりですが進んでいくようにしています。

 

最後に

まとめ

最後に、アトピーや脱ステロイドには「死」を考えるほど辛い瞬間があります。
しかし脱ステロイドのリバウンドは「生」のための体の反応です。

体は必死に「自然治癒能力の回復」に向けて頑張っています。
私たちはそれを阻害しないよう、手助けをしてあげるだけで良いのではないでしょうか。

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