端午の節句の由来や意味を教えて!鯉のぼりはなぜ飾るの?

公開日:  最終更新日:2016/03/18

端午の節句 由来や意味

「端午の節句」

みなさんご存知ですよね。端午の節句は鯉のぼりや五月人形を飾って、男の子の健やかな成長を5月5日のこどもの日にお祝いする、男の子のお祝いですよね。

でも、ふと端午の節句って何だっけ?と、立ち止まってみると、あまり詳しくは知らない自分に気がつきました。
説明しろと言われたら、うーん、説明できないかも~。

そんなわけで、端午の節句を前に、せっかくなので端午の節句の由来や意味、鯉のぼりはなぜ飾るのかを、今一度確認してみたいと思います。

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端午の節句の由来や意味を教えて!

端午の節句の由来をご存知でしょうか?

端午の節句って、そもそもいつからどんな風に始まったのでしょう。

端午の節句の風習は、そもそも中国東周時代の政治家、楚の国の屈原(くつげん)を供養するために始まりました。約2300年も前の話に遡ります。

 

5月5日は、屈原の命日なんですね。
どうして屈原が死んでしまったのかというと、陰謀によって国を追われることになってしまった屈原は、故国の行く末に失望し、川に身を投げてしまったのです。

もともと国民からの信頼が厚かった屈原でしたので、楚の国民たちは、屈原の死体を魚が食べないようにと、川にちまきを投げたんだそうですよ。

その後、毎年命日の5月5日に屈原の供養のために祭りが行われ、ちまきを川に投げて国の安泰を祈願する風習となりました。

そしてその風習は、やがて病気や災いを除ける行事として定着し、端午の節句となりました。
これが、のちに端午の節句にちまきを食べることになった起源なんですね。

そして、端午の節句は奈良時代に日本に伝わることとなります。

もともとは、邪気を祓うためにショウブやヨモギを軒にさすという風習だったのですが、それが時代とともに変化していき、現在では、柏餅やちまきを食べたり、菖蒲湯に入ったりするようになりました。

 

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端午の節句の鯉のぼりの意味も教えて!

では、端午の節句に飾る鯉のぼりにはどんな意味があるのでしょうか?

奈良時代に日本に伝わった端午の節句は、江戸時代になってから、男の子の節句とされ、武家では甲冑やのぼりを飾るようになりました。
それが、町人の間にも広がり、町人の家では武者人形や鯉のぼりを飾るようになったそうです。

 

いったいどうして端午の節句は男の子の節句になったんでしょうね。

実は、奈良時代から平安時代に宮廷で行われていた端午の行事が、鎌倉時代に武士の時代になるに連れて、廃れていったんです。

ですが、武士の間では尚武(しょうぶ)の気風が強かったので、菖蒲と尚武をかけ、端午の節句を尚武の節として祝うようになりました。

その後、江戸時代になると、5月5日が徳川幕府の重要な式日に定められ、大名や旗本が江戸城に参上し、将軍にお祝いを奉じるようになります。
また、将軍に男の子が生まれると、馬印やのぼりを立ててお祝いするようになりました。

このような時代の移り変わりの中で、端午の節句は男の子誕生のお祝いへと変化し、武家から町人にも広まっていったんですね。

武家で飾られていたのぼりをまねて、町人の間では鯉のぼりが飾られるようになったようですが、なぜ鯉???

これは、「鯉の滝登り」をイメージして、のぼりに鯉を描いたのがはじまりなんだそうですよ。

≫≫≫ 鯉のぼりはいつからいつまであげれば良い?飾る時期を教えて!

 

鯉のぼりはなぜ飾るの?

「鯉の滝登り」は、滝を登りきれた鯉は、竜になって天に登ったという中国の言い伝えから、「目覚しく立身出世する」と言う意味がありますね。

これにあやかって、子供に立派に育ってもらいたいという願いをこめて、のぼりに鯉を描き、鯉のぼりが飾られるようになったというわけなんです。

この頃はまだカラフルな鯉のぼりではなくて、墨で描かれた鯉だったそうですよ。

 

まとめ

端午の節句や鯉のぼりについて、由来やその意味をきちんと知ったうえでお祝いできるというのは、やっぱりいいですよね。

今年は、端午の節句の意味をしっかり知ることができたので、息子たちの端午の節句を、いつもとはちょっと違った気持ちで、息子たちの成長を喜び、願い、お祝いしたいと思います。

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